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ニートのための「完全家出マニュアル」  

ヒキ問題は、家庭問題である。

これは僕が、何十人、もしかしたら百いってるかもしれないが、メンへらやヒキと付き合ってきて、出ている結論だ。
今のとこ。

家にヒキらせるだけの資産のある家だけが、ヒキを生む。
イネイブラー(2ちゃんで言う”毒親”)とかは、その次の話だ。

たとえば、僕の持っている一人の生徒に聞いた。
彼は最近、数ヶ月前にはじめたバイトが嫌でしょうがない。
そこで聞いた。

「何のためにバイトやってるの?」

生「自立の一歩になるかと思って…。でも明日行きたくなくてしょうがない」

彼は仕送りをもらってるのだが、その一部をバイトで負担することになった。

「バイトやめたら、金銭的にはどうなるの?」

生「親が…その分送ってくれると思います(苦笑)」

「それだったら、何のために稼いでいるのか、よくわからなくなってやる気がなくなるよね」

彼は、もう最近ではわかっているのだが、親が、彼を自立させない。

彼が頑張っても、結局やめたら、親がその分また払ってくるのだ。

これは僕の場合も同じだって、よくわかる。

「いっそ、『お父さんが倒れて、家が金銭的に苦しくて、もう仕送りは家賃分しか送れないのよ!』とかってなったほうがいいよね?」

生「そのほうが全然がんばれますよ」


ヒキ問題が、ぶっちゃけほとんどはヒキ自身には責任はないと思っている。
ヒキ自身のせいではないということだ。
彼を、ヒキれるだけの環境を作っている親がほぼ全ての原因だろう。
ヒキを本当にやめさせたければ、家から追い出せばいいのだ。

それを、延々と金を出し続ける(ヒキ自身への関心はない)ものだから、ヒキは延々と「ペットの自由」という苦しみを味わい続けることとなる。

この悪循環から、逃れるのには、僕は個人的には
「循環の輪から出る」
のが一番早いと思っている。

家から出るのだ。

もう親のほうから連絡もつけられないほど。


僕は彼に言った。

「~一部戦略のため略(mixi・「友達に公開」には書きます)~…貯金にまわせばいいよね。
目標額と締め切りを決めておく。
1年間で、100万、とか。
まず親から離れるために必要なもの。

保証人のいらない住居、もしくは保証人協会。
ゲストハウスはてごろ。
それを探しておく。
安いほどいい。
身分証を、扶養のままの保険証を別にしてもらってものでもとりあえず最悪いいから、ひとつは必ず作っておく。
3ヶ月ほどは、バイトができなくても暮らせるだけの貯金額があればなおよし。
焦らずにバイトを探せるから。
そして、親や、親に連絡してしまうような今までの友達とは離れるので、それまでに『親の知らない友達』を作っておこう。
今までは、嫌でも親や地元の友達に相談するしかなくて、無関心な説教と札束で頬をはたかれてきただけだったけど、これからは、そうでない人に相談するしかない。
信用できる大人を3人は見つけておけ。
そして友達。
いればいるほどいい。
僕でもいいし、スパーリングで出会った人でもいいし。

それが、締め切りを決めて、貯蓄をしながら同時に進めておくこと。

親から離れるということは、自由を得るのだけれど、その瞬間、新たな不自由を背負うことでもある。
でもそれを選び、より自分の人生にとって良い環境を作っていけるか。
それが人生の戦いかもね」


おおむね、今書き出していることは、以前僕が「完全家出マニュアル」(メディアワークス)を読んで実行し、その中に書いてあったことを知らずしらずなぞっていた。

経験者から言うが、あの本は本当にリアルに即して書かれていて、偉大な本だった。


多くのヒキやニートにとって「自分の意思で物事を決め、そのように進んでいける人生」とは悲願であるように思える。
なぜなら、それこそが「自立」だからだ。
誰のせいにもしない。

しかし、それを阻んでいるものが、他ならぬ、今までほとんど、彼らの元で過ごして育ってきた『親』であることが多い。

親は変わらない。
それはもうわかっていることだと思う。

それなら、そこから脱けてやるのが、親孝行、だろう。
最後の。


ニートやヒキにとって、家出は悲願であることが多い。
家の中にいるままでは、選択肢すらない家庭の中に、彼らはいることが多い。
それを自分で選んで、脱したいとおもうなら脱して
それに必要なものは、体力だったり、知恵だったり、バイトを続けるのに励ましてくれる友達だったりするのだが、そういう、彼らの望む「自立」にととって”伴走”できる友達であれるだろうか?


「いつまでも甘えてるなよ」
とか、もう本当にウンザリな無責任な(だからといって”甘え”から抜け出すことには決して手を貸そうとしない)野次を言う者たちから離れて。


ニート・ヒキ問題は、僕たちが伴走にふさわしい友達であれるかどうか問題でもある。
ニート・ヒキを語る前に、彼らにとって、自分自身が「良い友達(相手の試行錯誤にできる範囲で付き合える、出来る程度の責任を一緒にとれる)」なのか、自問したほうが良いだろうと思う。

弱いものを責めるのは簡単だ。

しかし、自分自身を省みることは、礼の出来た人間でなくては出来ない。

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